中国・黒溝台のレポート
「ドキュメンタリー八甲田山」 宮田聡監督、
~中国公安警察にスパイ容疑で拘束された話~
高倉健の映画「八甲田山」 のラストシーンのテロップ。「徳島大尉、倉田大尉、伊藤中尉らは二年後の日露戦争中、極寒零下二十数度の黒溝台で二昼夜飲まず食わずに戦い、続く奉天大会戦を勝利に結びつけ、全員戦死した」 この黒溝台(こっこうだい)に以前から興味があった。現地を見てみたい。また戦死者の慰霊もしたいと考えた。
中国・瀋陽。満州国時代の日本の建物が多く残っている。
(左)奉天大和ホテル、(右)浪速通りの七福屋百貨店
中国北東部の都市、瀋陽(しんよう)。昔は奉天と呼ばれていた大都市である。2018年1月28日、通訳兼コーディネイターの中国人Eさんの車で朝8時に瀋陽を出発。目的地は南に100キロの黒溝台村。日露戦争の激戦、黒溝台会戦が行われた場所である。八甲田山雪中行軍遭難事件が起きなかったとしたら、青森5連隊の雪中行軍隊全員が黒溝台会戦に来ていたはずである。
午前10時30分、黒溝台村に到着。雲ひとつない青空、空気は乾いている。雪はほとんど降らない地域らしく、道路の残雪は少ない。晴天の昼間ではあるが気温はマイナス16度だった。人口は3000人くらいか。レンガやコンクリート作りの貧相な家が立ち並んでいる。
村の中を車でゆっくりと走る。この日は日曜、旧正月が近いことや結婚式がこれからあるようで商店で買い物をしている村人が多くいた。店先では大きなブロック状の肉を切り売りしている様子も見られた。
黒溝台村の商店
後から公安警察に聞いた話によると、黒溝台村は村人やその関係者以外が来ることはなく、私たちが村に入った時、すでに警察への通報があったらしい。中国では2017年くらいからスパイと疑われる人物を通報すると報奨金が出る制度が始まっている。
最初は北京などの大都市だけのようだったが、今では地方都市や農村部でもその仕組みが出来上がっている。知ってはいたが、まさか自身が通報されているとは夢にも思わなかった。平和ボケともいえる(笑)
黒溝台会戦の激戦地は黒溝台村の南西約500mにある小さな丘。あたりは平地のため、隠れる場所がなく、この丘を巡って大激戦となった。八甲田山雪中行軍で遭難した青森5連隊、210名中死者199名、生存者は11名。その中で軍務に復帰できたのは倉石大尉、伊藤中尉、長谷川特務曹長の3名。八甲田のちょうど3年後、彼らは黒溝台にいた。
戦闘が始まったのは1905年(明治38年)1月25日の未明、弘前31連隊、青森5連隊は多數の死傷者を出し、八甲田の生存者のひとり、倉石大尉も戦死した。
現場で供える花や線香の他にお菓子やタバコを買おうと商店に入った。日本人だと気づかれないよう、私は口を開かず、Eさんが買い物を済ませる。思えば、ここでも通報されていたのだろう。しかしこちら側から言わせて貰えば。畑だけの何もない小さな村を何の目的でスパイするのか。
田舎だからこそ、見知らぬ人間は目立つのだろうが、車で村に入っただけで通報されるとは度が過ぎている。報奨金はもちろん、国への貢献、忠誠度をはかるための仕組みなのだろう。
~中国でドローンを飛ばす~
大平野の中にある黒溝台。ドローンでの空撮が有効だろうと考え、中国へ出発する前にドローンの申請手続きを済ませた。中国民航局の規定では重量1.5キロ以上のドローンは飛ばす都度に許可が必要(2018年1月時点)。
しかし、1.5キロ以下のドローンは飛行禁止区域でない限りは登録さえすれば、飛ばすための許可はいらない。持っていったドローンは中国製のDJI SPARKで重量は300g。YouTubeなどをみると中国の観光地で外国人が飛ばしているドローンの映像が数多くアップされている。
ドローンは中国民航局のwebサイトから外国人でも登録できるようになっている。所有している機種やシリアルナンバー、住所氏名、連絡先などを記入し、規定のQRコードをドローンに貼り付ける決まり。これで中国国内でドローンを飛ばすことができる。最も注意しなければならないのは軍事施設、また政府や党の施設。飛行禁止区域でなくても、そのような場所で飛ばすと公安警察に捕まる可能性がある。
大連の軍港で写真を撮った日本人観光客がスパイ容疑で逮捕された事例もある。飛行禁止区域か否か、軍事施設の有無は事前に調べ、公安警察に連絡をして外国人が入っても問題ない地域か、確認を済ませた。
あちこち見ながら、村の風景を隠れて撮影。1時間ほど過ぎたが、目的地の丘がわからない。コーディネイターのEさんが誰かに聞いてみるという。商店の前にいた若者に窓越しに声をかけると、後ろのドアを開け、車に乗り込んできた。日本の将軍の墓があるので案内するという。しかし連れていかれた先には3m四方のコンクリートの塊が転がっているだけ。
日本の将軍の墓だと子供の頃からみんな言っていたというが、そもそも黒溝台で死んだ将軍はいない。墓としてもコンクリートの塊というのはありえない。若者も親切で連れてきたようなので礼を言って、出会った商店の前で別れた。
あたりは水平線が見えるような平野、そのために目標物も少なく、どこを走っているのか、方角もわからなくなる始末。用意していた航空写真でだいたいの位置を割り出し、細い農道へと入る。目印としていた墓地を発見。
墓地から500mほどのところに目的地の小さな丘がある。墓地は1メートルほどの土の山が盛ってあり、その中に土葬をしているのだろうか、道路の両脇にたくさんの土の山が並んでいた。Eさんに聞くが、こんな形の墓は初めて見るという。
墓地なので人もおらず、ドローンを飛ばすには目立たない場所だと思い、当初から目をつけていた。周囲を見渡すと遠くに紺色のセダンが一台止まっていた。これも尾行の車だったが、その時は気づかず。
しかし、誰か人がいる前でドローンを飛ばすと登録は済ませているとはいえ、通報される可能性もある。その車がいなくなるのを待った。10分ほど待つと車は去っていった。すぐにドローンを飛ばす。
広大な平野が撮影できた。この場所が黒溝台会戦の激戦地である。2分ほどで撮影を終え、小さな丘へと向かった。細い農道、前から黒のセダンがくる。ギリギリでスレ違うが後部座席の黒いフィルムを貼った窓の奥でこちらにカメラを向けている男の姿が見えた。この時も監視されていることには気づかなかった。大ボケである(笑)
ドローンを飛ばした場所。
小さな丘を発見。周りは畑だけで人家はない。車を降り、様子を見に行く。当時はもっと高い丘だったのだろうが、おそらく農地とするために削ったと思われる。大きな木があり、背の低い木も生えていて、地形から丘だったことがわかった。
舗装路ではわからなかったが畑を歩いてみると、表面の土は凍りつきコンクリートのように固くなっている。おそらく地中深くまで凍りついていることが容易に想像できる。
この場所に塹壕を掘ろうとしてもシャベルカーなどの重機でさえ、苦労するのではないか。ましてや人の手で穴を掘るなど不可能であろう。だからこそ、この丘が重要なポイントになったと思われる。
道路から5メートルほど入ったところに祠があった。何の祠かはわからないが供え物が置いてある。激戦地ゆえに幽霊話などがあり、それを鎮めるための祠か!? と思ったりもした。周囲に人はおらず、ドローンでの撮影を先に済ませてしまおうと考えた。高度50mくらいまでドローンを上昇させ、丘を撮影。1分ほど過ぎた頃だろうか、黒い物体がこちらに向かって飛んできた。
ん?何だろうか!? それは大型のドローンだった。機種はDJIのインスパイア。こんな田舎で高級なドローンを持っている人もいるのだな、と思ったが、何かがおかしい。こんな田舎でいきなりドローンが目の前に出て来ること自体がおかしい。
(上)DJIのインスパア、(下)DJI spark
すると前方から白のSUV車が来て道を塞ぐようにして止まった。私服姿の男が二人、車を降りてこちらに向かって来た。「警察ですかね」 とコーディネイターのEさん。とうとう来たか、心配していたことが現実となったようだが覚悟はしていたのでさほど焦りはしなかった。
Eさんが「あなたたちは何者か?」 と聞くと、「住民だ」 と答えた。後から聞いた話では彼らは民兵で、村に警察がないために自警団のような役割をしているらしい。普段は農業や他の本業の仕事に就いていて必要な時のみ民兵の仕事をしている。こんな田舎の村でドローンまで装備しているとは、予算があるものだと感心した。
撮影した画像に写っていた白のSUV車。村に入った時からこの車に尾行されていた。
~民兵に連行される~
民兵二人が窓越しにEさんに何か言っている。ドローン飛ばす登録はしている、飛行禁止区域でないことも確認しているとEさんに説明をしてもらうが、区長のところで話を聞くといい、民兵が車に乗り込んできた。
私は後部座席に座るよう指示され、両側を民兵二人に挟まれて座った。まるで逮捕されたような絵になっている。そこでふと思ったのは、身分証も何も提示せず、いきなり拘束、これはひょっとして誘拐では? という気がして、不安になった。
しかし運転しているのはEさんで、誘拐なら男たちの車に乗せるだろう。向かった先は村役場のような所だった。殺風景な広い部屋にデスクがひとつ。50代だろうか、区長という人が座っている。日曜なのに出勤か? Eさんが通訳し、説明をしてもらう。
事前に公安警察に電話をしたが飛行禁止区域とは聞いていない。区長にQRコードを貼ったドローンと登録時の書類のコピーを見せ、中国で飛ばすための登録も済ませていると説明。中国民航局の規定では、重量1.5キロ以上のドローンは飛ばす都度に許可が必要(2018年1月時点)。しかし、1.5キロ以下のドローンは飛行禁止区域でない限りは許可がいらない。持っていたドローンは中国製のDJI SPARKで重量は300g。
しかし区長は「飛ばすには市の許可がいる」 「どこからも連絡が来ていない、どう報告するか村では責任がとれない」 市の許可が云々と、上部組織を気にしてばかりいる。
民兵に拘束され連れて来られた村役場のような建物。
~公安警察へ~
15分くらい過ぎた頃、公安警察の私服警官二人が登場。ひとりは年配で昔の俳優・牟田悌三に似て、まゆ毛が太い。民兵は小汚い格好だったが、私服警官はパリッとしたいいジャケットを着ている。もうひとりの私服警官は20代後半か30代前半、髪を刈り上げメガネをかけている。
彼らは遼陽(りょうよう)の警察官だった。黒溝台の南東50キロ、遼陽から黒溝台まで1時間はかかる。私たちが民兵に拘束される前、すでに警官たちは遼陽からこちらに向かっていたわけだ。
13時頃。外にはシルバーのワンボックスカー、後ろの3列目のシートに座らされ、隣には刈り上げ警官、前の2列目のシートに私のキャリーケースと牟田悌三刑事。そして運転手の私服警官。両側を挟まれるでもなく、手錠をかけられる訳でもなく、普通に座って移動した。
コーディネイターのEさんは自分の車を運転、私服警官2名が同乗し、ワンボックスカーの後に続いた。警官5名が1時間かけてやって来るくらいだからこれは最低でも数日間は拘束されるかも、と覚悟を決めた。
実は日本を出発する前にいくつかの対策を施しておいた。近年、日本人がスパイ容疑で何人も中国に拘束されている。実際に日本の公安調査庁から依頼を受けて中国の調査を行ったセミプロのスパイのような日本人もいたらしい。
大連で興味本位で軍艦の写真を撮り、スパイ容疑で拘束されている日本人観光客もいる。そんなことから中国の田舎でドローンを飛ばしたり、カメラで撮影、いやスマホを出しているだけでスパイ扱いされないとも限らない。ましてや田舎の場合、通報される可能性は高い。
もし中国滞在期間中に尖閣問題が両国間で大きな話題に上がるようであれば、外交上の人質として拘束される可能性がさらに高くなる。尖閣が再び大きく報道されるようなことになった場合は中国行きは中止しようとも考えていた。もし拘束された場合のことを考え、期日指定の自動送信メールをセットしておいた。
帰国予定から7日過ぎても連絡がない場合、警察に拘束されている可能性あり、目的地は黒溝台で内容は・・などひと通りの説明と対策を書き、関係各所宛に自動送信メールをセットしておいた。
14時頃、遼陽市の警察に到着。普通のオフィスビルの雰囲気。日曜なので建物の中に人はおらず。天井は高く、床は綺麗に磨かれた大理石風だが、黒溝台の役場と同じで殺風景。取調室らしき部屋に案内された。
10畳ほどの広さで窓はなく、イスがあちこちに散らばっている。トイレに行かせてもらい、取調室に戻る。コーディネイターのEさんが通訳をしてくれるが、彼もこのまま拘束されるのだろうか。どうなるのかと思いつつ、待つこと約1時間。
~中国公安警察の取り調べ~
取調室に3人が入ってきた。ひとりの男が私に身分証を見せる。彼は肘をまっすぐ伸ばし、私の目の前、20センチくらいのところに警察のIDを掲げた。水戸黄門の印籠か!?そもそも中国で水戸黄門は放送されているのだろうか。その男が取り調べを行う刑事らしく、年齢は30代半ばくらい、坊主頭でサンドウイッチマンの伊達みきおを細くした感じ。
もう一人の男はPCの前に座り、延々とキーボードを打つ。この調書作成係は相棒の鑑識役の六角精児にそっくりだった。そして日本語の通訳は女性。30歳前後でAKB48の指原莉乃に似ていた。おそらく通訳の手配で1時間も待たされたのだろうと推測した。
私のイスは背もたれが付いた社長イス、コーディネイターのEさんは壁際に立ったまま。私の目の前、約2mの位置、会議室によくある折りたたみの長い机に、左から六角精児書記、サンドウイッチマン伊達リーダー、指原通訳という並びで座っている。3人とも小太りなので、満員電車の座席のように肩が触れ合うような状態。かなり暑苦しい。公安警察は笑いをとろうとしているのか。
伊達リーダーは黒のTシャツ。拳銃のホルダーらしきものを着けているが、銃は持っていない。帰国してから検索してみると、公安警察は普段は銃を所持していないようである。伊達リーダーをさらに観察してみると、銃のホルダーに見えたのは、スマホやメモ帳、財布などが入れられる万能フォルダーだった。
正面には取り調べ可視化か、ビデオカメラが設置されていて、何かの説明の際、例えば紙を見せようと彼らの前に行くと、すぐに席に戻れと指示される。ビデオの画面から出てしまうからだろう。カメラは形だけではなく、実際に録画しているようだった。
取り調べが始まる。身体検査で持ち物を調べるかと思ったが、そんな気配はまったくなく、指原通訳の質問からスタート。「あなたはなぜちゅごくに来ましたか?」 指原通訳の日本語は拷問レベルだった。「電子せいびはありますか?」 え? 電子整備? あるかと聞いているのは持ち物のことだろうから、電子機器だろう。携帯電話とビデオカメラとドローンを持っていると答えた。
いつも取材の時はパソコンを持っているのだが今回は日本に置いてきた。もし拘束されてパソコンの中身を調べるとなったら、確実に時間がかかる。その間、ずっと拘束されることが予想されるのでパソコンを持って来ていない。
伊達ちゃんが中国語で喋り、指原通訳は電子辞書を見ながら質問、私が回答、指原通訳はわからない言葉を私に確認して、私が砕いて説明、そして伊達ちゃんへ繋ぐ、という方法なのでひとつの質問と回答にえらく時間がかかる。
政治思想を聞かせて下さい。自民党ですか?民主党ですか?政府の仕事をしたことがありますか?自衛隊、公安調査庁の仕事をしたことがありますか?誰かに依頼されて中国に来ましたか? 答えはもちろんすべてノー。もしスパイだったとしてもこれらの質問にイエスと答える者はいないだろう。
ここで感じたことがひとつ。もし公務員や自衛隊員が中国旅行に来てスパイ容疑をかけられた場合、公務員をしています、元自衛隊員です、などと正直に答えると無実だとしても取り調べのために長期間拘束されるのではないだろうか。
第二次大戦当時は日本軍のスパイが多かったらしく、そのあたりが今も尾を引いているのかもしれない。全員が疑心暗鬼になる監視社会、習近平が政権の座に就いてからその傾向はさらに強くなっていると聞く。
なぜ黒溝台に来たのかという質問、映画を製作した話から八甲田山雪中行軍遭難事件について、黒溝台で5連隊の兵士が多く戦死したこと、慰霊のため、また黒溝台をこの目で見たかったと説明する。指原通訳は苦戦しながらも何とか伊達ちゃんへの説明を終えた。
伊達ちゃんは納得した様子、しかし「外国人はドローンを飛ばすことができない」 と言い張る。中国民航局の登録申請の話をするが、外国人がドローンを飛ばすのは法律違反だという。捕まえるためなら法律の解釈を変える。これが中国の"法律の恣意的解釈による外国人の拘束" である。
こうなるとドローンを飛ばしました、間違いでした、すみませんでした、と回答するしかない。罪を認めますか? と聞かれるが、知らなかった、行く前に確認はしている、でも知らなかった、とリピートした。
携帯の着信音がやたら鳴る取調室。中国人の携帯依存は日本人以上でLINEと同じ仕組みのwebchatが着信しているのだろう。鳴っては返し、返しては鳴り・・中国の取り調べ室は携帯禁止にすべきである。
いくつかの質問を終えると、スマホの中身を見せることはできるかと聞かれた。もちろんである。そのために余計なデータは日本を出発する時に消している。
パスワードを解除して、スマホを伊達ちゃんに手渡す。ビデオカメラも見ますか?と聞き、どうせ見るなら早くしてくれという思いで、カメラも手渡した。別室で調べるのだろう、またも1時間近く待たされた。黒溝台で撮影したドローンの映像はすべて消去しろという。残念ではあるが仕方ない。
私が消去するところを牟田禎三刑事がビデオで撮影している。そんなものを撮ってどうするのか、スマホ側に入っている空撮の映像を削除すると、スマホとビデオカメラを返してくれた。
後でスマホを確認したところ、すべてのアプリが開かれていた、スカイプや電話、メール、LINE・・・通信履歴を調べていたのだろう。携帯は中国に来てからコーディネイターと連絡をとる時くらいしか使っていない。写真やビデオはありきたりの風景、観光客が撮りそうなものしか撮影していない。怪しい点は皆無である。
「ドローンにGPSは付いていますか?」 との質問、中国大手のドローンメーカーDJIは世界の70%のシェアをもつ。おもちゃのドローンでない限りはDJI製のドローンにはすべてGPSが搭載されている。
GPS=スパイ活動、という認識があることは知っていたので、GPSが搭載されているかどうか、機械の中のことは詳しく知らない。ただ中国の大手メーカーが作っているドローンだから、違法な点はないと思う。詳しいことはメーカーに聞いてほしいと答えた。
GPS付いてますと答えてしまうと恣意的解釈によって逮捕となる可能性を感じた。ドローンはこのまま預かって調べる、調べ終わったら返すとのことでコーディネイターEさんが預かり証をもらい、ドローンは警察に預けることとなった。
取調室から誰かが外へ出る、戻る。交代で誰かが外へ出る、戻る。そんな動きを繰り返しつつ、スローなペースで質問が続く。伊達リーダーは「ここまで正直に答えている、携帯電話も渡すし協力的だ。たぶんきょうは帰れるかもしれない。上司の判断次第だ」 と言った。解放するか拘束するかを決めるのは、きっと伊達ちゃん本人だろう、真面目に質問に回答した。
1時間のうち、質問されるのは20分程度、あとの40分は待たされているだけ。別室で上司に報告しながらモニターで様子を見ているのか。いったいどうしてこのような方法なのかは不明。カメラを意識し、きちんと座り、正面を向き、疲れてはいたが真剣な表情を崩さずにいた。
遼陽の警察に着いたのが14時頃、取り調べ室に入ってから質問されている時間より、待たされている時間のほうが圧倒的に長い。拘束されたことは心外だが外国人だからなのか、人権侵害どころか威圧的な態度も一切なく、注意深く配慮して対応しているのが見て取れた。これは伊達リーダーの人柄なのか、それとも遼陽市警察の方針なのかはわからない。
コンビニ袋を持って伊達ちゃんが部屋に戻ってきた。取り調べ中に買い物か?と思ったが、コンビニ袋からプラスティックの容器を出す。親切にも私とEさんの食事だという。お金を払いますと申し出るとタダとのこと。中国公安警察の取り調べ室の食事はカツ丼ではなく、チャーハンだった。
近所の店で買ってきたのだろう。チャーハンは暖かく、とても美味しかった。中国公安警察の取り調べ室のチャーハン。猛烈に写真が撮りたい。食べログにアップしたい。しかし写真など撮ったら反省の色がないということでさらに拘束されそうである。
21時頃、帰りはいつの便かと聞かれ、明日朝の7:45だと答えるとそれも記録していた。雰囲気から察するにこれは今日中に解放されるという予感がした。いくつかの書類をプリントアウトする六角精児書記、指原通訳が電子辞書を見ながらこう言った。「ざんねんしょうを書いてください」
指原通訳の日本語は無罪の人も有罪になりそうな通訳である。通訳として仕事をするのは10年早いと断言する。日本にいる中国人は流暢な日本語を喋る人が多い。それが当たり前と思ってもいたが、語学の学習は何にしても大変である。そう言う私も中国語ができないので偉そうなことを言えたものでもない。
残念賞を書いてください? まあいろいろとお互いに残念な面もあるわけだが、紙を出してきているのでおそらく念書のことだろう。
指原通訳にそう返すと「そうです。念書です」 との返事。文書はすべて中国語なので何と書いてあるかわからない。指原通訳が翻訳、内容は「ドローンを知らずに飛ばしたことは間違いで反省している。二度としない」 という文面。そして「日本語でいいですから反省文を書き足してください」 始末書ということですね? 始末書らしい文面を適当に考え、サッサと記入した。
すべての書類へのサインと捺印を終えたのが22時頃。「あなたはこんな遠いところまで花束を持って慰霊に来た。えらい人だ」 そして感動したと言う伊達ちゃん、だったら捕まえるなと言いたい。ドローンで撮影した黒溝台の空撮映像は消去。ビデオカメラの映像10分程度と画像が数枚撮れているのみ。
黒溝台で戦死した福島大尉、倉石大尉、多くの日本兵とロシア兵、住民も多数巻き込まれたことであろう。慰霊のためにと持っていった線香、花、お菓子、たばこ、お茶など、供える前に拘束されてしまい、手を合わせられなかったことは実に無念だった。
黒溝台で民兵に連行されたのが昼の12時半、解放されたのが22時、約9時間半に渡って拘束された。逮捕ではなく事情聴取と始末書で済んだのは不幸中の幸いであるが、おそらくドローンを飛ばしていなかったとしても、他の口実で拘束されていただろう。
伊達ちゃんが外まで見送ってくれた。解放してくれてありがとうと社交辞令だがお礼を言って頭を下げると、「あなたは本当にいい人だ」 と笑顔で握手を求めてきた。伊達ちゃんの生温かい手を握り、笑顔で別れた中国・遼陽の夜だった。
瀋陽空港のホテルに着いたのは夜12時半。コーディネイターEさんも疲れた様子。調べるとのことで取り上げられたドローン、遼陽の警察から連絡がきたのは9か月後の2018年10月。いったい何を調べていたのかわからないがコーディネイターEさんがドローンを引き取りに行った。
監視社会、言論弾圧、報道の規制・・・これらに必ず限界が来ることは歴史が証明している。いつの日にか中国が自由で解放された国になることを願うばかりである。
取材・5network・宮田聡 2019/2/7