小笠原孤酒とドキュメンタリー八甲田山
八甲田山雪中行軍遭難事件にいちばん詳しい人は誰ですか?
事件に興味を持って調べ始めた方々、また事件の研究家、専門家の方々へこう質問したとすれば、多くの人が小笠原孤酒(おがさわら こしゅ)と答えるだろう。元・新聞記者の小笠原孤酒は実家の山林を売り払うなどして全財産を八甲田山雪中行軍遭難事件の取材に注ぎ込んだ。
作家が本を書く時、また映画やテレビの脚本を書く時、溢れるほどの膨大な情報が頭に入っているのが望ましい。作者自身が持つ情報量は大量の水が湧き出る泉であることが理想で、もしもコップの水が空っぽ、または半分しかなければコップを傾けても水は出て来ない。
情報収集、取材は重要であり、自分自身がGoogleの検索エンジンのごとく、すべての回答が瞬時に出せる状態がベストだと思っている。欧米のドキュメンタリーは撮影期間よりも取材期間のほうが長い。取材などの準備に半年から1年、撮影2週間というのが普通。ドキュメンタリー八甲田山の場合は取材と撮影に7年かかった。小笠原孤酒が八甲田山雪中行軍遭難事件を取材していた正確な期間はわからないが、20年以上は取材を続けていたと思われる。小笠原孤酒が持つ八甲田山雪中行軍遭難事件に関する情報量はGoogleの検索エンジンでさえ勝てないだろう。
ドキュメンタリー八甲田山のオープニングでこんなテロップが出る。「原作 小笠原孤酒 吹雪の惨劇」
原作の書籍があり、それを映画化する場合、100%原作に沿って忠実に映像化するケースもあれば、基本的なストーリーは原作に沿っているが、原作とは異なる展開、まったく違う結末の映画もある。
ドキュメンタリー八甲田山は小笠原孤酒の原作をそのまま映画化したものではなく、独自取材の部分も多い。
「ドキュメンタリー八甲田山」と「吹雪の惨劇」
映画は原作をどこまで使用して、どの部分が独自取材で。どこが原作通りになっているのか、これらを解説したい。
事件の詳細な状況を知るには公式の報告書や当時の新聞があり、その真偽を検証した。小笠原孤酒も同様にこれらの資料を徹底して調べたことは間違いない。しかし資料からは拾い出せない部分もある。そのひとつは兵士たちの会話。登場人物やそのキャラクターは物語を進める上では非常に重要。ドキュメンタリーならそんなモノは要らないだろうというツッコミは無しにしてほしい。学術論文を朗読するような映画では、世界中の誰も見てくれない。
ちなみに英語圏向けの映画タイトルは「Mount Hakkoda」になっている。日本では高倉健の映画八甲田山が有名なので、混同されないために頭にドキュメンタリーと追加、日本語版のタイトルは「ドキュメンタリー八甲田山」としている。映画のジャンルでいえば正確にはドキュメンタリーではなく、ドキュメンタリー+ドラマ。DocDramaと呼ばれるジャンルに入る。
さて、当時どんな会話がなされていたかは生存者の証言から残っている部分もあるが、たとえば初日の露営地、平沢の雪壕の中で兵士たちはどんな会話をしていたのか、これらは今となっては調べようもない。
小笠原孤酒は日本各地の遺族の元に行き、取材を行なっていた。遭難した兵士ひとりひとりがどんな人物だったのか?結婚はしていたか?子供はいたのか?兄弟は?彼の性格は?手紙や写真などあったら見せてほしい。こんな質問を元新聞記者であれば、100%間違いなくしていたはずだ。たとえば新人の記者であってもこれらの質問をしない記者などいない。
小笠原孤酒「吹雪の惨劇」第二部にこんなくだりがある。菅原梅作上等兵が田村専太郎伍長に「自分はすぐ隣の家に婿に入ったんでありますが、それから三ヶ月後に召集令状が来まして、働き手がないというので結婚したんでありますが、けっきょく同じことになりました。いま頃はどうしていることやら、心配でなりません」
これらのセリフには取材に基づいた事実と創作が混じっていると思われる。しかしながら小笠原孤酒の取材過程、そのベースとなった膨大な取材量から考察すると、信じるに値する理由は十分に揃っていると判断。そんなことからドキュメンタリー八甲田山の兵士の会話、これらは「吹雪の惨劇」の原作に書かれた会話をそのまま使用している。
ストーリーの骨格については実際にあった事件なので真実はたったひとつだろう。小笠原孤酒は事件をどう分析していたのか?
残念なことに「吹雪の惨劇」は第二部までしか出版されていない。大隊長の山口少佐の死についても、出版された第一部、第二部には書かれていない。
私が取材中だった2010年あたり、第三部の原稿は執筆中または完成しており、どこかにあるはずだとの情報があった。第三部の原稿が発見されたと聞いたのは映画公開後。現在は十和田市が保管している。
高倉健の映画八甲田山では、三国連太郎演じる山口少佐は病院で拳銃自殺。新田次郎の小説「八甲田山 死の彷徨」でも山口少佐は拳銃自殺。この拳銃自殺説は小笠原孤酒が新田次郎へ提供した情報のひとつで小笠原孤酒が考え、新田次郎の小説へ提供するためのアイデアだったとの話もある。
では小笠原孤酒は自身の本の中で、山口少佐の最期をどう描いているのか?第三部の原稿を閲覧するため、2016年に十和田市へ行った。原稿はほぼ完成していて細かな直しを行なっていたと思われる状態。「吹雪の惨劇」は第三部の他に第四部もあった。山口少佐の最期は・・・不思議なことにその部分だけ原稿が無い!
書き直すために抜いていたのか?それともまだ書いていなかったのか?遭難原因や山口少佐の最期も含め、小笠原孤酒自身は長年に渡る取材で、すべての結論を出していたことは間違いなく、それをどう表現するかで迷っていたのだろうか?
小笠原孤酒と高倉健