新たな発見 遭難要因

【遭難要因2 局地気象】
現場に何度も足を運んでいると、事件から100年以上が過ぎていても新たな発見があり、自身でも驚くことがあった。それが局地気象と呼ばれる現象。ドキュメンタリー八甲田山の取材ではこれが雪中行軍隊の遭難原因のひとつになっていることを発見した、

馬立場、鳴沢付近は標高600-700mくらい。いつ行っても風が強く、寒かった。後藤伍長の銅像が立っているのは馬立場の頂上。山の中、ましてや頂上なので平地より寒いのは当たり前。しかし、どうもこの周囲だけがブラックホールのごとく、気温が低いような気がしてたまらない。

八甲田にあたった風が吹き下りてくる。これは昔から誰もが知っていることらしいが、それ以外にも何かあるかもしれないと思い、取材を始めた。八甲田には東北大学の植物研究所がある。研究するくらいだから何かあるのだろうと単純に考え、八甲田の木や草など植生を調べ始めた。




後藤伍長の銅像が立つ馬立場。青森市内も見える。



遭難現場付近を歩き回り、草や木を観察していると群生している木があった。それはダケカンバという木。山岳地帯では標高1000mから1500m、それに準ずるような気温が著しく低い場所でないと群生しない。馬立場から鳴沢、平沢にかけての遭難現場。標高は600から700メートル。この場所だけが周囲に比べて気温が低いことをダケカンバが証明している。

地元や山岳ガイドの方々から聞くと、付近一帯は八甲田から吹き降りる強風が発生する。シベリアからの風が直接当たるのが八甲田山。これ以外にも、津軽海峡方向から、また近くの駒込川から吹き上がる風もある。

遭難シーンの撮影では猛吹雪が必要。遭難現場、またその付近でいつも強風が吹いている場所、吹雪になると他よりも激しい吹雪が発生する場所を、取材と同時に探していた。風向きや風速のリサーチは冬に行い、その結果、冬の吹雪の日、他と比較し吹雪が激しい場所を見つけた。車を止め、長時間滞在していると、東西南北と風向きが目まぐるしく変わり、複雑な風が吹く場所もあった。

この地域の風向や気温、植生を観察した結果、「局地気象」という現象に当てはまるのではないかと考え、青森の気象に詳しい弘前大学の石田祐宣准教授に話を聞いた。雪中行軍隊が進んだ馬立場、鳴沢、平沢。これらの遭難現場の一帯だけ、局地気象が発生する地域であることを確認するに至った。




取材時に作成した資料





当時としては局地気象など知る由もない。例えば馬立場の頂上は豪雪地帯にもかかわらず、冬でも足のくるぶしくらいしか雪の深さがない。雪が積もっても強風ですべて吹き飛ばされてしまうためである。それに気づいたとしても頂上だから風が強いのは当たり前、と思う程度だろう。

当時は木がまったく無く、ダケカンバの群生も無い。気象予報の技術レベルは今と比較すれば話にならないほど低い。自分たちが進むコースが局地気象による特殊な地域、などということに気づくチャンスはゼロである。そこへ大型台風並み、数世紀に一度の猛烈な低気圧が接近する。不運としか言いようがない。