史実と映画「八甲田山」


小笠原孤酒(元・時事新報記者)

ジャーナリスト・小笠原孤酒は八甲田遭難事故を長年に渡って 取材していた。小笠原孤酒から多数の資料の提供を受け、小説家・新田次郎が「八甲田山 死の彷徨」を出版。黒澤明監督「七人の侍」などでも有名な脚本家・橋本忍がこの小説を脚色し、製作したのが1977年の映画「八甲田山」だった。当時「天は我々を見放した」は流行語にもなり、八甲田山雪中行軍遭難事件は世間に広く知られることとなった。

新田次郎の小説「八甲田山 死の彷徨」は衝撃的な内容で文学史に残る傑作である。映画「八甲田山」も日本の映画史に残る名作といえる。しかし小説、映画ともに一部はフィクションになっており、事実との相違点は多い。そして今も小説、映画の内容をすべて事実と思っている読者や視聴者は少なくない。

当時、八甲田山の映画や小説がヒットする中、小笠原孤酒は複雑な心境だった。 自身が全力を注いで取材した遭難の真実とはまったく違う内容が広められている。「こんなはずでは・・・」その無念さは想像に難くない。小笠原孤酒は1974年に「八甲田連峰吹雪の惨劇」の第二部を出版、第三部の出版計画もあったが資金が足りず、最後は実家の山まで売り払うが結局は頓挫。「吹雪の惨劇」は未完成のまま、小笠原孤酒は1989年に亡くなった。


「八甲田連峰吹雪の惨劇」銅像茶屋休業、絶版のため入手困難。

未完の第三部の原稿は執筆済みでどこかにあると噂されていたが、青森県十和田市の小学校でダンボールに入った状態で発見され、現在は十和田市郷土資料館が保存している。小笠原孤酒と長年に渡って交流のあった「銅像茶屋」経営者の千葉勝幸氏が出版の権利を譲り受けており、絶版になっている第一部、第二部とともに「八甲田連峰吹雪の惨劇」 第三部は2023年中に再出版の予定。


「八甲田連峰吹雪の惨劇」発見された第三部の原稿。